同年齢の子たちと同じような経験をさせたいのに、わが子に「人工呼吸器」が付いているだけで保育園に行けず、親も仕事に復帰することもできない。人工呼吸器を使用しているお子さんの保護者の多くが、そんな現実に直面しています。
お子さんにつきっきりでケアをする必要があるため、仕事はもちろん、普段の買い物すらままならないこともあります。
今回は、育児と仕事を両立している薄井さんに、人工呼吸器のお子さんを親御さんと共同保育する「アニーバディ」のトライアルに参加されるまでの思いと、保育が始まってからの変化について伺いました。
突然の出産、病院に母乳を届ける日々。「本当にお母さんになれるの?」
はじめての出産を控えていた薄井さん。20週目に入り「いつもの検査とエコー」のつもりで病院に行ったところ、切迫早産を告げられました。手術で危険な状態は脱したものの、その後は絶対安静の毎日。「入院中はコロナ禍のため家族もお見舞いに来られず、誰にも気持ちを話すことができなくて。こどもは大丈夫なのか、これからどうなるのかとずっとふさぎ込んでいました」。
夫婦で経営していたお店もパートナーに任せざるを得なくなり、いろいろなところに負担や迷惑をかけているという申し訳なさも、気持ちを暗くしました。
一度退院した後に再び出血し、再入院。25週の3日目を迎えたところで、看護師さんに「今から出産です」と告げられたそうです。「全身麻酔から覚めたらもう生まれていました。でも初めは別室で会えないし、ぜんぜん実感がなくて。お腹の痛みだけ残っていましたが『本当に?』という感じでした」。
赤ちゃんの体重は775グラム。大きさは「手のひらとおなじくらい」だったといいます。「いろいろな機械に繋がれていたので、何もついていないところを探したら足の裏でした。ちょこっと触ったらあったかくて…小さいな、かわいいな、と思いました」。赤ちゃんはMくんと名付けられました。
Mくんは肺が弱く人工呼吸器の装着が必要で、「お医者さんからは、医療的ケア児か障害児のどちらかにはなるだろう、と言われました」。
薄井さんは先に退院し、病院に母乳を届ける日々が続きました。ただ、再びコロナの波がきて面会制限が厳しくなり、週に1日、1時間しか会えない状態に。「『思い描いていた子育てと全然ちがう』『私はこれで本当にお母さんになれるんだろうか』と不安でいっぱいでした」。
「この子にあたりまえの経験をさせてあげたい」と決意
3か月の入院を経て、ようやく退院できたMくん。人工呼吸器も外れての退院でしたが、家で泣き止まない状態が続きました。24時間ずっと抱っこが必要で、「さすがにおかしい」と退院から7日で病院に戻って検査したところ、二酸化炭素を排出できない苦しい状態になっていました。そのため、ネーザルハイフローという人工呼吸器を日常的に使用することになったのです。
家族揃っての生活が始まりましたが、薄井さんは「体調を崩してまた病院に戻るのでは?」「本当に育てていけるのか」という不安が大きく、とても怖かったといいます。「Mくんはよく動くことができたので、人工呼吸器がすぐにずれてしまい、昼も夜も頻回にアラームが鳴っていました」
「夜間は、アラームが鳴らない時も『ちゃんと生きているか』と心配でいつも気が張っていて、私は眠ることができませんでした」。
散歩に行きたくても人工呼吸器の本体や酸素ボンベごと移動しなければならず、一人では気軽に外出もできません。
「世の中の家庭のようにお宮参りも100日祝いもさせてあげられない」「成長を促したくても自分にはどんな関わりをしたらいいかわからない」と落ち込んでいました。
「もう一生を二人きりで家の中で過ごすなら、この子のために自分が看護師か保育士の勉強をして関わりを学ぶしかない」と思い詰めていたある日、偶然見たドキュメンタリー番組に心を打たれます。
「たぶん重度の脳性麻痺の子だったと思います。いろんな機械につながっていて吸引などたくさんのケアが必要だったけれど、お母さんが『生まれてきてくれたこの子にあたりまえの経験をさせてあげたい』とおっしゃって行動されていて。本当にそうだなと思いました」。
薄井さんは、Mくんを受け入れてくれる保育園を探すことを決意しました。
受け入れ先が見つからない…夫婦であきらめかけた
Mくんの世界を広げたいと受け入れ先を探しはじめたものの、期待はあっさり裏切られます。
「本当にあちこちに電話をかけたのですが、『人工呼吸器を使っている』というだけでどこからも断られました。市役所にも相談しましたが、『今の段階では医療的ケア児なのか障害児なのか区分がはっきりしないため、どこを紹介していいかわからない』といわれて」
「Mくんは人工呼吸器が付いている以外は、寝返りも打つし、おもちゃで遊ぶし、ミルクを飲んでいる、他の子と同じようなこどもなんです。でもいろんなところから拒否されるうえ、人工呼吸器のこどもが利用できる場所やサポートの情報も驚くほど少なかったです」
「仕事をしながら遠くの施設に送り迎えするのは無理だし、障害者手帳が出ていないからタクシーも気軽に使えない。保育園に行けなければ仕事を再開することもできないし、『もうどうしようもないね』と夫婦で途方に暮れました」。
仕事を辞めるしかないと考え始めたある日、往診医に紹介されたのがフローレンスでした。
後編へ続きます。